これまでの不祥事と処分
相撲界のこれまでの主な不祥事、事件、トラブルなど
●1871年(明治4年)
明治維新に伴い、東京府の「裸体禁止令」により東京相撲の力士は罰金、鞭打ち刑に処された。また、「相撲禁止論」も浮上。
明治天皇と、伊藤博文らの尽力で、1884年(明治17年)に天覧相撲が実現し、
これにより大相撲が社会的に公認され危機を乗り越えた。
●1922年(大正11年)
大阪相撲で竜神事件と呼ばれる紛争が起こる。力士他多くが廃業し、大阪相撲が衰退する。
●1923年(大正12年)
東京相撲で、力士待遇の改善をもとめストライキが発生し、それにより横綱大錦卯一郎が廃業するという三河島事件が起こる。
●1931〜2年(昭和5〜6年)
大関玉錦が三連覇するも横綱になれず。
(新興の小部屋だったからとも、喧嘩っ早い性格のためとも言われる)
●1933年(昭和7年)
力士の待遇改善など、改革を求める力士が集まり決起したが受け入れられず、集団で脱退すると言う春秋園事件が起きる。
●1949年10月場所(昭和24年)
休場中の横綱前田山が来日中のサンフランシスコ・シールズとの日米野球を観戦しそれが新聞報道され責任を取って引退したというシールズ事件が起きる。
●1949年10月場所〜50年1月場所(昭和24〜25年)
大関千代の山が連覇するも横綱になれず。
(1月場所、3横綱すべて休場のためか?)
●1950年1月場所(昭和25年)
羽黒山、照国、東富士の三人の横綱が相次いで休場し、横綱の権威が問題となり、
横綱降格論が起こる。これをきっかけに横綱審議委員会が発足する。
●1953年1月場所後(昭和28年)
優勝した鏡里を協会が横綱に推薦したが、段取りの悪さからか横審が正式決定を二日間も持ち越した。
●1953年3月場所(昭和28年)
成績不振で休場した横綱千代の山が横綱を返上し大関からやり直したいと申し出る。
まだ若い横綱であり、再起に期待する方針により横綱返上は認められなかった。
●1964年5月場所(昭和40年)
廃業した元力士が不法所持の拳銃で逮捕されたことをきっかけに、相撲協会が調べると、複数の現役力士および親方が拳銃を不法所持していたのがわかった。
●1971年11月場所(昭和45年)
横綱北の富士が暴力団関係者からの懸賞金などを受けとっていたとして戒告処分。
●1972年3月場所(昭和47年)
大関どおしの前の山と琴櫻の一戦は無気力相撲と判断され、両力士注意処分を受けた。
●1975年九州場所前(昭和50年)
朝日山部屋継承問題に巻き込まれトンガ力士廃業。国会文教委員会の答弁でも言及される。
●1985年(昭和60年)
水戸泉と蔵間が相次いで交通事故を起こす。
これがきっかけとなり、相撲協会は現役力士の運転を禁止した。
●1986年7月場所(昭和61年)
期待されたカナダ人力士、琴天山が相撲界の水になじめず土俵に上がらず失踪してしまう。序ノ口、序二段、三段目でいずれも7戦全勝で優勝していたので、無敗のまま廃業となった。
●1986年7月場所後(昭和61年)
5月場所で12勝3敗で準優勝、この場所14勝1敗で優勝同点の北尾の横綱昇進が横綱審議委員会で討議され「優勝経験のない力士が横綱になるのはおかしい」「精神面に甘さがある」との意見が出たものの、結局横綱に推薦された。(千代の富士の一人横綱、保志が大関確定的で北尾を昇進させないと史上初めての6大関になってしまうためと言われている)
●1987年12月(昭和62年)
横綱双羽黒が師匠立浪親方と衝突し、仲裁しようとした後援者や女将に暴力を振るって失踪。その後破門同然の形で廃業。
●1988年9月場所(昭和63年)
南海龍が酒の飲み過ぎにより休場する失態を起こす。場所後に、師匠の髙砂親方「酒と相撲とどっちをとるんだ」の問いに「酒」と答えサモアに帰国してしまう。その後廃業。
●1995年6月(平成7年)
元横綱・千代の富士の九重親方が約1億3000万円の申告漏れで修正申告に応じ追徴課税。
理事長より口頭注意をうける。
●1996年7月(平成8年)
元大関・貴ノ花の二子山親方が前年までの3年間で約3億円の申告漏れ。貴乃花、若乃花も申告漏れ。それぞれ理事長が口頭注意をうける。
●1996年11月(平成8年)
山響親方(元小結 前乃森)が、11月場所後に失踪。翌1月場所中も現れなかったため、職務放棄として相撲協会よりはじめての解雇処分になった。
●1998年6月(平成10年)
相撲協会が地方場所の経費など前年までの3年間に総額3億5000万円の申告漏れ。約1億円の追徴課税。
●1999年4月(平成11年)
元大関・霧島の陸奥親方が5年間に約2億2000万円の申告漏れ。約9000万円の追徴金。
相撲協会より6カ月間20%減給の処分。
●2000年12月(平成12年)
闘牙が自動車人身死亡事故を起こす。理事会は翌初場所への出場辞退を勧告。師匠の高砂親方へも「役員待遇」から「年寄」二階級降格の処分。
●2006年(平成18年)7月場所
露鵬が千代大海との一戦後、口論となり、風呂場のガラスを割り、厳重注意を受ける。
その後カメラマンに暴行し3日間の出場停止処分となった。
●2007年(平成19年)
旭天鵬、禁止されている車の運転で人身事故。一場所出場停止の処分。
●2007年(平成19年)6月
武蔵川部屋の山分親方がちゃんこ番の男性を棒で殴り、書類送検
●2007年(平成19年)6月
時津風部屋で時太山が暴行され死亡し、2008年2月に元親方らが逮捕された。15代時津風親方は部屋持ち親方としてはじめての解雇処分となった。
●2007年(平成19年)7月
朝青龍が巡業を休んで無断帰国したモンゴルでサッカーをしていた。
日本相撲協会は2場所出場停止処分を発表。
●2007年(平成19年)7月
元小結旭鷲山が、暴力団から脅されていたことが判明。大島部屋にはトラックがつっこむなどの事件も発生していた。前年の引退の一要因になったと本人の弁。
●2008年(平成20年)1月
陸奥部屋の豊桜が弟弟子を調理器具で殴り、書類送検された.。
●2008年(平成20年)5月
間垣親方が、弟子を竹刀で殴りけがを負わせたとして減俸処分を受けている。
●2008年(平成20年)8月
若ノ鵬が大麻入りのたばこを所持しており大麻取締法違反で逮捕される。現役力士ではじめての解雇処分される。若ノ鵬の師匠の間垣親方は理事職を辞任した。
●2008年(平成20年)9月
若ノ鵬の事件をうけ、抜打ち尿検査がおこなわれる。露鵬・白露山兄弟に大麻の陽性反応が出た。本人たちは否定物的証拠も出なかったが、二人は解雇処分。露鵬の親方でもある、北の湖理事長は理事長で初めての引責辞任。白露山の親方である大嶽親方は委員から年寄へ降格。
●2009年(平成21年)1月
若麒麟が乾燥大麻1を所持していたとして現行犯で逮捕された。抜き打ち尿検査の際には、1回目の検査結果は陰性であったものの、検査結果が不鮮明だったために2度再検査を受けたが、最終的には陰性と判定されていた。解雇処分。親方であるの尾車親方は二階級降格。
●2010年(平成22年)1月
朝青龍が初場所中に泥酔の上、暴力沙汰を起こす。理事会で事情聴取を受けた後、突然、暴責任を取る形で現役を引退表明した。師匠の高砂親方は役員待遇から主任へ2階級降格処分。
●2010年(平成22年)2月
相撲協会理事選挙に貴乃花親方が一門の総意を無視し一門を離脱し立候補当し当選。一月場所中に立候補を表明しそれを支持した間垣、阿武松、大嶽、二子山、音羽山、常盤山の親方6人および間垣部屋、阿武松部屋、大嶽部屋の3部屋は事実上二所ノ関一門破門させられた。
●2010年(平成22年)5月
前年の名古屋場所で暴力団幹部多数が維持員席で観戦していた問題で、チケットを手配した木瀬親方は二階級降格、木瀬部屋は閉鎖し北の湖部屋に吸収合併。調達を依頼され手配した清見潟親方は譴責(けんせき)処分。
●2010年(平成22年)5月
5月場所中、琴光喜が野球賭博に関与していたと週刊新潮に報じられ、それをきっかけに事情聴取を受ける。最初否定していた協会も6月になり、野球賭博に29人、賭け麻雀、ゴルフ、花札などの賭博に36人の計65人が関わったと申告してきたことを発表し、琴光喜と大嶽親方は解雇ほか関取11名、幕下以下7名が7月場所を謹慎出場停止処分。ほか5名を厳重注意処分。時津風•阿武松両親方は降格処分、武蔵川理事長以下10親方が謹慎処分。
●2010年(平成22年)7月
野球賭博事件により名古屋場所が史上初のNHK中継が中止となる。永谷園が名古屋場所の懸賞金掲出および、呼出着物広告を中止し、各社それに呼応し懸賞は前年の8割減。天皇賜杯、内閣総理大臣杯の授与などの表彰は行われなかった。
●2010年(平成22年)7月
警察庁が阿武松部屋、境川部屋、八角部屋、木瀬部屋が吸収された北の湖部屋、名古屋場所のでの宿舎などに40か所を対して、賭博開帳図利の疑いで家宅捜索。
●2010年(平成22年)9月
十両松谷、三段目・若力堂、幕下古市が野球賭博に関与していたことが新たに明らかになり松谷は2場所出場停止、若力堂と古市は1場所出場停止。古市は引退届を提出したが、受理されず、解雇処分。
●2011年(平成23年)2月
警視庁が野球賭博事件に関連して押収した力士らの携帯電話に現役十両力士数人が八百長を頻繁に行っていたとみられるメールの記録が、残っていたことが分かった。
これにより福祉大相撲、大相撲トーナメント、地方巡業、さらに3月場所が中止された。