時津風親方

第15代時津風 順一
元小結双津竜 順一(ふたつりゅう じゅんいち、1950年2月28日-)は北海道室蘭市出身。
本名は山本順一。身長185cm、体重172kg。最高位は東小結(1979年7月場所)
中学在学中に時津風部屋に入門。その時の親方は元横綱双葉山の第12代時津風だった。
1963年9月場所に初土俵を踏み、1969年11月場所には弱冠19歳で十両に昇進した。
期待されながらも立合いが遅く2年以上も幕内に昇進できなかったが、1972年3月場所に新入幕を果たす。

全盛期には180キロもあり当時としては高見山(現東関親方)に次ぎ北の湖と同じくらいの巨漢であった。体格を生かし、右四つで豪快な相撲だったが、故障が多く幕内と十両を往復した。1979年7月場所に小結まで番付を上げた。しかし1980年3月場所、右上腕を負傷し休場し十両へ陥落。そのまま再入幕できず二年後幕下に陥落。十両に返り咲くことなく引退。
写真で二科展に連続入選などしている。

引退後は年寄・錦島を襲名し、時津風部屋の部屋付きの親方として後進の指導に当たった。2002年に定年を迎えた第14代の時津風親方(元大関・豊山)より時津風部屋を引き継いだ。

2007年4月に愛弟子の新小結豊ノ島が横綱朝青龍に稽古中、プロレスと見まがうような技で怪我させられた時、朝青龍に対し「悪意に満ちた稽古だ」など激しく批判し、高砂親方から詫びの電話があった。
現役中は「気は強いが斑の多い性格」ともいわれた、親方としては「温厚で優しいが酒を飲むと性格が変わる」という噂もあったが…。

2007年名古屋場所直前に序ノ口力士時太山が稽古中に倒れ急死した。9月になり、暴行容疑の疑いで愛知県警に事情聴取され、ビール瓶で頭を殴るなどといった暴行の事実を大筋で認めた。しかし2007年10月4日には一転して暴行の事実を否定した。
2007年10月5日に日本相撲協会から、処分としては最も厳しい解雇処分が下り、相撲界より永久追放された。


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