事件の発端と経過報道
時太山事件の発端と経過
◆6月28日 (yahooニュースより抜粋)
大相撲名古屋場所のため、愛知県犬山市にけいこ場を設けている「時津風部屋」の力士で新潟市出身の時太山(本名斉藤俊さん)=(17)=が26日、けいこ中に体調を崩し、犬山市内の病院に搬送された後、急性心不全で死亡していたことが28日分かった。遺族の希望で同日、新潟市の病院で行政解剖する。
犬山署によると、斉藤さんは26日午前に約30分間、兄弟子の胸を借りたぶつかりげいこの最中、気分が悪くなり約1時間休んだ。呼吸が荒くなっているのに気付いた兄弟子らが119番。同日午後2時10分、病院で死亡が確認された。ほおなどにかすり傷があり、足にやけどが治ったあともあったが、直接死亡につながるような打撲はなかった。
父の斉藤正人さん(50)=新潟市=は「亡くなる5日ほど前に、新潟に帰ってきて『けいこが厳しい。上下関係がきつい。やめたい』ともらしていた。部屋に戻らせたが、まさかこんなことになるとは。真相が知りたい」と話している。
◆7月1日 (yahooニュースより抜粋)
大相撲の序ノ口力士、時太山(17=時津風、本名斉藤俊さん)が名古屋場所(7月8日初日、愛知県体育館)に備えた26日のけいこ中に体調を崩し、急性心不全で死亡していたことが28日までに分かった。愛知県犬山市の時津風部屋ではこの日のけいこを休み、夕方に時津風親方(57=元小結双津竜)が会見。「大事なお子さんを預かっているのに、本当に申し訳ない」と声を震わせた。
時太山は26日に兄弟子の胸を借りたぶつかりげいこの最中に気分が悪くなり、横になって休んでいた。約1時間後、呼吸が荒くなっているのに兄弟子が気づき救急車で搬送。「患者に接触した時点(午後0時58分)で完全に心停止状態」(犬山消防署)で、午後2時10分、犬山市内の病院で死亡が確認された。
犬山署は28日、新潟大で同日行った行政解剖の結果、多発外傷によるショックが死亡につながった可能性があると発表。当日の張り手などの激しいけいこが心臓停止につながったと考えられるが、直接の死因は特定できなかったという。同署によると斉藤さんのほおなどにかすり傷があったほか、肋骨(ろっこつ)1本の骨折が見つかったが、単独で死亡につながる傷はなかった。今後はけいこに行き過ぎがなかったかなど詳しい状況について関係者から事情を聴く方針。
◆9月26日 (yahooニュースより抜粋)
大相撲の時津風部屋の序ノ口力士、時太山(ときたいざん)=当時(17)、本名・斉藤俊さん=が6月、愛知県犬山市でけいこ後に急死した問題で、県警捜査1課と犬山署は26日、制裁目的の暴行があったとして、時津風親方(元小結双津竜)と、部屋の兄弟子ら数人を立件する方針を固めた。
死因を詳しく特定するため遺体の組織片の鑑定が進められており、その結果とそれぞれの 調べでは、時津風部屋の兄弟子らは名古屋場所前の6月26日午前11時ごろ、犬山市のけいこ場で時太山に暴行を加え、同日午後2時10分ごろ、搬送先の病院で死亡させた疑いが持たれている。時津風親方は、暴行を指示したとみられている。
◆9月28日 (yahooニュースより抜粋)
大相撲・時津風部屋の力士=当時(17)、本名・斉藤俊さん=が稽古(けいこ)後に急死した問題で、日本相撲協会の北の湖理事長は28日、「この10年間どういう状況だったのかをきちっと把握し、報告すべきだと思う」と述べ、過去10年間にさかのぼり、同様の事例がないか調査する考えを示した。
北の湖理事長ら相撲協会幹部が同日午後、文部科学省を訪れ、渡海紀三朗文科相や松浪健四郎副大臣に対し「命の大切さは重々承知している。ご迷惑をかけて申し訳ない。深く反省している」と公に謝罪した。また、「稽古の在り方も考えないといけない」と述べ、稽古の方法を再検討する考えを示した。
北の湖理事長は会談後、「二度とこういうことがないようにしたい。番付によって稽古の厳しさが違うが考えた方がよい。やり過ぎはいけない」と述べた。時津風親方の処遇については「なかなか言えない。状況に応じて」と述べるにとどめた。
◆9月29日 (yahooニュースより抜粋)
大相撲・時津風部屋の序ノ口力士、時太山(ときたいざん)=当時(17)、本名・斉藤俊さん=が稽古(けいこ)後に急死した問題で、日本相撲協会の北の湖理事長は28日、文部科学省から事情聴取を受け、時津風親方に対して協会独自の調査を行い、状況によっては立件を待たずに処分を下す意向を示した。
また、過去10年にさかのぼって類似事例を検証し、力士の指導に関する検討委員会に外部有識者を加える方針も表明。いずれも文科省の指導を受け実施するもので、同省が具体的問題で相撲協会を指導したのは初めて。
◆10月3日 (yahooニュースより抜粋)
日本相撲協会は2日、前日の事情聴取で解雇が決定的になった大相撲時津風親方(57)=元小結双津竜、本名・山本順一=に続き、死亡した時太山=当時17歳、本名・斉藤俊(たかし)さん=への暴行に関与したと見られる兄弟子数人からも、独自に事情を聴く方針を固めた。3日に武蔵川事業部長(元横綱三重ノ海)、伊勢ノ海生活指導部長(元関脇藤ノ川)が聴取の日程などを話し合う。時津風親方の処分を決める臨時理事会は5日にも招集される。
◆10月4日 (産經新聞より抜粋)
大相撲の時津風部屋に在籍していた斉藤俊さん=当時(17)、しこ名・時太山=が6月に急死した問題で、日本相撲協会は4日、時津風親方(元小結双津竜)と部屋関係者の聴取内容に食い違いがあったことから、時津風親方の再聴取を行った。
再聴取は武蔵川(元横綱三重ノ海)、伊勢ノ海(元関脇藤ノ川)の両理事が協会の顧問弁護士を同席させ、東京・両国国技館で午後5時過ぎから1時間以上にわたって行われた。
伊勢ノ海理事は「1日に行った親方の聴取と3日に行った部屋関係者の聴取に食い違いがあったので、もう一度親方の話を聞かないといけないと考えた。食い違いの内容はいえません」と述べるにとどまり、時津風親方も無言を貫いた。
◆10月5日 (産經新聞より抜粋)
大相撲・時津風部屋の序ノ口、時太山(ときたいざん)=当時(17)、本名・斉藤俊さん=が6月に急死した問題で、日本相撲協会は5日午後1時、東京・両国国技館で斉藤さんへの暴行を認めている師匠の時津風親方(元小結双津竜)ら関係者の処分を協議する臨時理事会を開き、時津風親方の解雇を満場一致で決定した。処分は理事会に時津風親方を招き本人に通告した。
北の湖理事長(元横綱北の湖)は「力士を養成する立場にありながら、その義務を怠り暴行を黙認した。師匠としてあるまじき行為。協会の名誉を汚した」と語った。また後継者については「9日まで決めるよう指示した」と語った。
理事会では時津風親方の処分のほか役員にも連帯責任があるとして、北の湖理事長が4カ月間の減俸50%、理事、監事らが3カ月間の減俸30%の処分を自主的に申し出て了承された。暴行したとされる兄弟子に対する処分は保留とし、捜査の結果を待つとしている。
◆10月6日 (サンケイスポーツより抜粋)
大相撲の序ノ口力士、時太山(ときたいざん)=当時(17)、本名・斉藤俊(たかし)さん=が6月下旬のけいこ後に急死した問題で、日本相撲協会は5日、師匠の時津風親方(57)=元小結双津竜=の解雇処分を決めた。理事会で3分間の弁明時間を与えただけで、極刑を決定。時津風親方は解雇処分の場合は提訴する考えを関係者に漏らしていたが、北の湖理事長(54)=元横綱=は問答無用の永久追放処分で事件のけじめをつけた。
◆10月10日 (スポーツニッポンより抜粋)
大相撲の序ノ口・時太山=ときたいざん=(当時17、本名・斉藤俊さん)が急死した問題で、幕内・時津海(33)=本名・坂本正博、時津風部屋=が9日、相撲協会に引退届を提出。持ち回り理事会で年寄「時津風」襲名と部屋の継承が承認され、5日に解雇された前時津風親方(元小結・双津竜、本名・山本順一さん)の後継者となった。10日から名門復興に尽力するが、新弟子獲得や地方場所の宿舎探しなど難題も山積。前途多難の船出となった。
◆10月10日 (毎日新聞より抜粋)
大相撲時津風部屋の序ノ口力士、斉藤俊さん(当時17歳)=時太山=が急死した問題で、部屋を継承し新しく師匠となった時津風親方(元前頭・時津海)が10日午前、新潟市内の斉藤さん宅を訪れ、遺族に謝罪した。新師匠は部屋の継承が決まった前日の記者会見で謝罪の意向を明らかにしていた。
また、東京都墨田区の時津風部屋で、部屋を継承してから初めての朝けいこが行われた。部屋の周りには、約50人の報道陣が集まったが、けいこは非公開だった。幕内の時天空らが指導にあたり、しこを踏む音や掛け声が聞こえた。
◆10月10日 (毎日新聞より抜粋)
現役力士を引退して時津風部屋を継承した大相撲の時津風親方(33)=元前頭・時津海=は10日、6月のけいこ直後に急死した序ノ口力士、斉藤俊さん(当時17歳)=時太山(ときたいざん)=の新潟市内の実家を訪ねた。東京都内の時津風部屋に戻った後、両親に謝罪した時の様子を説明。斉藤さんの母親は泣いているようで、時津風親方は「顔も見られなかった」と話した。
◆10月12日 (yahooニュースより抜粋)
大相撲の序ノ口・時太山=ときたいざん=(当時17、本名・斉藤俊さん)が急死した問題で、日本相撲協会の北の湖理事長(元横綱)と伊勢ノ海理事(元関脇・藤ノ川)が12日、新潟市北区の斉藤さんの実家を訪れ、謝罪した。理事長によると、一連の経緯などを説明したところ、遺族も納得したという。だが、同席した親族は内部調査の内容などを明かさなかった協会側の応対などに不満爆発。協会トップの直々の訪問が逆により不信感を募らせる結果になった。
◆10月14日 (産經新聞より抜粋)
大相撲・時津風部屋の序ノ口力士、時太山=当時(17)、本名斉藤俊(たかし)さん=が愛知県犬山市でけいこ後に急死した問題で、遺体を解剖した新潟大大学院の出羽厚二准教授(法医学)が14日、産経新聞の取材に対し、「検視官に見せないで遺体を病死として処理し、被疑者になる可能性のある元時津風親方に返してしまった。初動捜査さえしていない可能性がある」と愛知県警の初動捜査を批判した。
解剖の結果、肩や尻に多くの内出血が確認され、死因は打撲によるショックが積み重なった「多発外傷による外傷性ショック死」と判明した。
出羽准教授は「急性心不全とは死因が分からないという意味で、遺体の傷を見れば、解剖の必要があると判断するのが当然。愛知県警は傷害致死になりそうな事件をスルーしてしまった。斉藤さんの遺族にきちっと謝らなければならない」と指摘した。
◆10月16日 (日刊スポーツより抜粋)
時津風部屋の序ノ口力士、時太山(ときたいざん、当時17=本名・斉藤俊さん)の死亡事件を受けて日本相撲協会が発足した「再発防止検討委員会」が15日、両国国技館で第1回会合を開き、外部の有識者委員を決めた。日体大元学長の塔尾武夫氏(73)、慶大スポーツ医学研究センターの大西祥平教授(55)、プロスポーツ協会の山口弘典副会長(74)の3人。塔尾氏は日本相撲連盟(アマチュア)の副会長でもあり、アマ側の意見が反映される。大西氏からは医学的助言を受け、またプロボクシング協会元顧問の山口氏は、他の競技団体とのパイプ役として期待される。今後、外部からさらに複数の委員を招聘(しょうへい)する予定だ。
◆10月18日 (yahooニュースより抜粋)
大相撲の時津風部屋で序ノ口力士の斉藤俊(たかし)さん(当時17歳)=しこ名・時太山=が急死した問題を巡り、日本相撲協会が新たに発足させた「再発防止検討委員会」の外部委員に、漫画家のやくみつる(48)、NHK解説委員の山本浩(54)の両氏が起用されることが18日、わかった。
◆10月22日 (yahooニュースより抜粋)
大相撲の時津風部屋に在籍していた斉藤俊さん=当時(17)=が急死したのを受けて発足した日本相撲協会の再発防止検討委員会は22日、全53部屋の実態を把握する調査書の質問項目をまとめた。調査書は23日に各部屋へ発送し、11月11日を期限に回収する。
調査書は力士の私生活やけいこ内容を調べるのが目的で、各部屋の師匠に回答を依頼。質問は「しつけと体罰の違いは何か」「道具を使って指導することはあるか」「けんかやいじめはあるか」など約60項目に上り、各項目について具体的な状況説明を求めている。
◆10月23日 (yahooニュースより抜粋)
序の口力士・時太山(当時17歳)=本名・斎藤俊(たかし)さん=がけいこ後に死亡した問題を受けて発足した日本相撲協会の「再発防止検討委員会」に、外部委員として招へいされた漫画家・やくみつる氏(48)が22日、就任後初めて活動方針を語った。熱心な相撲ファンで知られる同氏は、独自の情報網を生かして抜き打ちで各部屋の視察を行うことを示唆。相撲部屋の現状を厳しくチェックする考えだ。モンゴルで治療中の横綱・朝青龍(高砂)には、強制的に早期来日させることを望んだ。
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今回の騒動の経緯と経過
◆2007年7月場所
優勝後、腰痛と左肘が曲がらないことがあかされる。賜杯を受け撮影中に腰を痛そうにしているのが報道される。
◆7月22日
腰の疲労骨折で全治6週間という診断書を相撲協会に提出し、夏巡業不参加を認められる。
◆7月25日
サッカー元日本代表の中田英寿氏が子供たちを指導するイベントに同国政府や日本の外務省などの依頼を受けて参加。軽快な動きでシュートも決める様子が、同日夕のフジテレビ「スーパーニュース」で報じられた。
◆7月26日
北の湖理事長は、「診断書が出ているのに、サッカーをしているのはおかしい」
と怒り心頭で苦言を呈した。
高砂親方は国際電話で「腰が本当に悪いなら入院しろ、悪くないなら巡業に出ろと伝えた」と、広報部を通じて談話を発表。
◆7月27日
日本相撲協会の巡業部が緊急会議で朝青龍を夏巡業を全休させると決定。
大島巡業部長(元大関旭国)は「参加しなくても結構」。
高田川副部長(元大関前の山)は「巡業部としては全治6週間の診断書が出ているのだから夏巡業に出なくていい。途中で出たいと言っても断る。巡業を甘く見てもらっては困る」と語る。
◆7月31日
朝青龍が日本へ戻る。高砂親方とともに北の湖理事長へ謝罪に訪れる。
報道陣に取り囲まれた朝青龍は「日本で治療して来場所頑張ります」と早口に語り早足で立ち去る。
診断書を出した三重県四日市市内の病院は「左ひじは手術をしなければいけない状態で、第5腰椎も疲労骨折している」とのコメントを発表した。全治6週間とした理由については「左ひじの手術をすることを前提に決めた」と説明。
「サッカーはモンゴル政府に頼まれたから出てしまったと言っていたが、休場届を出しているのだから許されるものではない。わたしの監督不行き届き」と高砂親方
◆8月1日
外国人横綱の先輩として曙は「分からなくもない。ずっと1人横綱で場所も巡業も引っ張ってきたから疲れがたまっているのは当然」と同情しつつも「ただ、やり方がまずかった」と、苦言を呈した。
緊急理事会は朝青龍に対して、9月の秋場所、11月の九州場所の2場所出場停止と九州場所千秋楽までの謹慎処分、さらに4カ月の30%減俸処分とすることを決めた。また監督責任を問われた師匠の高砂親方に4カ月の30%減俸処分を科した。
◆8月2日
高砂親方から電話で処分内容を知らされた朝青龍は「真摯(しんし)に受け止める。治療しながら(九州場所後の)12月の巡業に間に合うように備えていく」とコメント。高砂親方は「朝青龍も私も反省している。21度の優勝を無駄にしないためにも前向きにやるしかない」と述べた。 との産經新聞報道????
精神的に不安定なことを理由に2日の会見は“拒否”。師匠の高砂親方(元大関朝潮)は近日中に朝青龍が自らの口で騒動に関する説明や処分への感想を述べる方針を明らかにした。
◆8月5日
本田昌毅医師診断を受け、「神経衰弱状態及び抑うつ状態で、うつ病の一歩手前、本人にとって最良の環境で療養した方がいい」と帰国を勧めた。
◆8月6日
高砂親方が朝青龍と面談。「ほとんどしゃべらず、ぼーっとしている。会見を開くのは難しい。私もびっくりした」と述べた。
◆8月7日
日本相撲協会医務委員会が指定した精神科医、今坂康志医師が朝青龍を診察「急性ストレス障害で療養が必要」と診断
◆8月9日
高砂親方が横綱を訪れ、入院と記者会見に応じることを勧めたが、拒絶されたという。この日、説得に失敗した同親方は受け入れられるまで“日参”すると宣言した。朝青龍は厳罰処分が下された現状に、涙をみせる場面もあったという。
◆8月10日
高砂親方は前日に続き横綱に会い「会見できる状態ではない。甘いかもしれないが、私も会見をさせてはいけないと思った。」と述べた
サッカー元日本代表の中田英寿氏が自らのHPで「遊び程度のサッカーをするには問題はないものの次場所に万全の体調で臨むために夏巡業を回避した可能性を指摘。本当に“仮病”なのかをまずはっきりさせることが大事とした上で、「頑張れ、朝青龍!!」
と締めくくっている。
◆8月15日
伊吹文部科学相が「朝青龍をヒール(悪役)のように扱って、非難しているだけでは問題の解決にならない」「相撲協会は公益法人の資格を持っており、義務も出てくる。現役の最高位である横綱に対し、日本の文化の理解、最高位としての立場の重さなどを教えることが一番大切なことだ」と述べる。
◆8月17日
相撲協会が派遣した新たな高木医師が17日夜、朝青龍の自宅で診察を行った。診断結果は今坂医師と同じ「急性ストレス障害」。ただ、高木医師と話をした高砂親方によれば「ストレスはよりたまっているということだ。医師が話しかけてもあまり反応がなかったと聞いている」と、症状が悪化していることを示唆した。
◆8月20日
高木洲一郎医師が「解離性障害」との診断。
計6度診察するも朝青龍本人は問い掛けに応じず、付け人やマネジャーの証言をもとに診断書を作成したことを打ち明けた
相撲診療所の吉田所長が会見し高砂親方に治療のためにはモンゴル帰国が望ましいと進言したが、拒否し国内での通院、または入院治療を優先させる方針を打ち出す。
高田川巡業部副部長が朝青龍の自宅へ見舞いに行ったが睡眠剤を服用して寝ていたため面会できず。「巡業部の一員として、今の状況を確認したかった。精神的に不安定と聞くし、心配しているよ」と説明した。
◆8月21日
北の湖理事長が国内治療にこだわるのは、協会内に強硬な反対意見があるため。この日の話し合いでも「モンゴルに帰るのはみんなが納得しないだろう。世の中とか理事とかあるだろう」と語った。
横綱審議委員会の海老沢勝二委員長は、「専門家が母国での治療を勧めているのだからその方向で考えてもいい」とモンゴル帰国に理解を示した
◆8月22日
自宅にこもりきりだった朝青龍が、主治医に任命された高木医師の診察を受けるために外出。朝青龍はそのまま都内のホテルに向かい、診察を受けた。自宅には戻らず、今後も同じ場所に滞在して治療を続ける予定だという。
◆8月23日
北の湖理事長は、朝青龍が高木洲一郎医師の往診を受けたことについて言及。
「まずは環境を変えることが一番大事。医師と相談するが、帰国することも一つの方法だろう」
高田川巡業部副部長が都内のホテルに朝青龍を見舞った。詳細に関しては明言を避けた
同親方は一時は朝青龍に厳しい意見を浴びせたこともあったが「朝青龍は若いのに十分
制裁を受けている」そして「一番悪いのは師匠の高砂だ」と師匠の指導力不足を批判した
◆8月28日
緊急理事会で朝青龍の帰国を許可。
伊勢の海理事と高砂親方が報道陣を前にお騒がしてすみませんと謝罪。
高砂親方は朝青龍の帰国に同行し何かあれば全責任を負うと言及。
◆8月29日
高砂親方と本田医師とともに朝青龍がモンゴルへ帰国。
◆8月31日
高砂親方が本田医師とともに帰国。高砂親方が協会へ報告後、会見を開く。朝青龍はウランバートル到着後すぐにハラホリンに向かい未明に到着。朝青龍の兄が経営する「ドリームランド」という施設に滞在しそこより60kmをどの温泉施設のあるホジルトへ治療のため通うことになるとのこと。モンゴル国立健康大学教授の精神科医が常駐し治療にあたるとのこと。
◆9月13日 (yahooニュースより)
モンゴルで療養中の横綱朝青龍が12日、ホジルトでの治療を開始した。帰国後、公に姿を現したのは初めて。滞在していた施設「ドリームランド」があるハラホリンから約50キロ離れたホジルトを訪れた朝青龍は、市民らに囲まれながら泥風呂などがある温泉施設に入った。治療開始を伝えられた師匠の高砂親方(元大関朝潮)は「次のステップである、ひじと腰の治療に入れる。心の治療はだいぶん良くなったのだろう」と話した。
◆9月25日 (yahooニュースより)
大相撲の横綱審議委員会(横審)が24日、東京・両国国技館で行われた。冒頭、朝青龍の師匠・高砂親方(元大関朝潮)が「多方面に迷惑をかけました」と謝罪し、モンゴルでの治療の現状を「モンゴルの専門医が付きっきりで治療し、精神面は改善されつつあり、今は腰の治療を受けている」と説明。左ひじと腰の治療は今月いっぱいまでの予定で、10月に入ってから横綱本人と日本に戻る時期などを打ち合わせることも報告した。
注目される来日時期と会見について、高砂親方は「本人には日本に戻って土俵に上がる意思がある。初場所に向けて体調を整えたい。謝罪会見をして、けいこをして土俵に上がりたいと言っている」と代弁。来日日時は未定だが、同親方は「日本に戻った当日に会見させる」と明言した。
◆10月11日 (yahooニュースより)
国技館で横綱稽古総見が行われ、その後、横綱審議委員会が特別に開かれた。
引退勧告をしても良いのではないかとの意見も出たが事態を見守るとのこと。
モンゴルで療養している横綱・朝青龍が、9日からウランバートルで筋力トレーニングを開始した。師匠の高砂親方(元大関・朝潮)は再来日について「今のところ、21日からの週を考えている」。朝青龍の関係者によると、滞在していたハラホリンの施設から8日にウランバートルへ移動。9日は約3時間の運動で汗を流したという。高砂親方は調整具合をチェックして来日する時期を検討する予定だ。
◆10月15日 (yahooニュースより)
母国モンゴルで療養中の横綱・朝青龍の再来日に関し、師匠の高砂親方(元大関・朝潮)が、15日から最終的な話し合いに入ることを示唆した。朝青龍はウランバートルでトレーニングを開始し、まわしを締めて稽古ができる状態を目指している。当初は九州場所(11月11日初日、福岡国際センター)の番付発表が行われる29日前の来日をメドにしていたが、高砂親方は「私の希望は10月下旬だが、選択肢はいろいろある。本人がやることだから」と横綱の気持ちを尊重させる意向。朝青龍の個人マネジャーも「あくまでも体調を優先することになりそう」と話しており、来日が11月にずれ込む可能性も出てきている。
◆10月17日 (yahooニュースより)
モンゴルで帰国療養中の横綱朝青龍(27)が左足首を痛めていたことが、17日分かった。現地で朝青龍に付き添っていた個人トレーナーが同日、帰国して明らかにした。
朝青龍はウランバートルでトレーニング中に左足首をひねったという。現在は患部の電気治療をしながら、毎日2時間ほどジムで筋力トレーニングを行っている。
師匠の高砂親方(元大関朝潮)は来週中にも日本に戻る可能性があるとしていたが、トレーナーは「難しいのではないか」と話し、日本に戻る時期は11月にずれ込む可能性も出てきた。
◆10月22日 (サンケイスポーツより抜粋)
モンゴルで帰国療養中の横綱朝青龍(27)が謹慎期間中にもかかわらずTBSのテレビ取材を受けていたことが22日、明らかになった。日本相撲協会の広報部長で師匠の高砂親方(51)=元大関朝潮=は、取材申請書を10月1日付で受理。広報部内で再検討した結果、5日に「謹慎処分が終了してから撮影して下さい」と通達したが、朝青龍は通達前の3、4日に取材を受けてしまったという。