[PR] ブライダル 専門学校 理事長・協会役員:岐路に立つ大相撲

理事長・協会役員

相撲協会の理事長、理事、役員

相撲協会の協会員(年寄)は理事、監事、役員待遇、委員、主任、参与、年寄の7階級に分かれる。 (現在、参与はいない)


●以前は理事は定員9名以上13名まで、理事の互選で理事長が決まる。
 理事は以前は五つの一門から二人ずつ選ばれていたが
 平成10年に初めて理事選挙になって以来現在は実力重視に移行されていた。

●時津風部屋力士暴行死事件により文部科学省から「外部の識者を相撲協会の理事に迎えよ」との指導されたため、相撲界以外より二名の理事を招く。また一名の監事も外部より招き、今まで監事として3名を置いていたものを副理事と名前を変更した。


●評議員は年寄105名跡(一代年寄2名跡)と
 互選により選ばれた行司2名,現役力士4名で構成される。


●理事経験者や副部長の職をになえる実力の委員は、役員待遇の処遇を受ける。





現在(2009年4月時点)の理事は以下の11名


【理事長】
◯武蔵川晃偉……元横綱 三重ノ海(出羽海一門)
前さばきのうまい気合いの入った相撲であったが、肝臓を悪くし、一度大関を陥落も
その後時間がかかったが横綱に昇進。優勝3回。
親方として横綱武蔵丸、大関武双山、出島、雅山など一代で多くの関取を育てる。
一時に多くの幕内力士を抱え、部屋別でなく個人別総当たりにするべきだとの意見する人も出るほどだった。


【事業部長】【総合企画部長】【生活指導部長】
【博物館運営委員】【全国維持員会会長】【健康保険組合理事長】
◯伊勢ノ海裕己茂……元関脇 藤ノ川(時津風一門)
最初の戦後生まれ幕内力士となる。動き回る相撲から「今牛若丸」と呼ばれ人気を博す。
ケガにより低迷し26歳の若さで引退し親方になる。土佐ノ海、北勝鬨などを育てる。
またテレビでの切れ味するどい解説も人気がある。


【大阪場所担当部長】
◯北の湖敏満……元横綱 北の湖 (出羽海一門)
優勝回数24回、連勝記録32勝、幕内での50場所連続勝ち越し、37場所連続2桁勝利。
年間通算82勝は朝青龍に破られるまでの最高記録だった。ある信念のもとに負けた相手に手を貸さなかった。それが余計に憎らし見え、輪島、貴ノ花、若乃花、に対してのヒール役尿な存在に映った。その実、真面目で実直な性格だと言われていた。数々の記録から一代年寄りの栄誉を授かる。親方としては巌雄、北桜などを育てる。


【巡業部長】
◯大島武雄……元大関 旭國(立浪一門)
研究熱心で、相撲博士との愛称もあり、小兵ながら猛稽古で大関までのぼる。
13勝14勝、をしながら北の湖、輪島が立ちはだかり優勝はできなかった。
親方として、横綱旭富士、旭道山などを育てる。
またモンゴルで新弟子公募し合格した旭鷲山、旭天鵬など6人の成功が
現在のモンゴル勢の礎となった。
2007年5月場所に旭天鵬の出場停止で翌場所に十両へ陥落となり
1983年以来続いた幕内力士連続在位が途絶えた。


【九州場所担当部長】
◯出羽海義和……元関脇 鷲羽山(出羽海一門)
小兵力士で多彩な技をもつ技能派力士で『ちびっ子ギャング』の異名もあった。
大型力士が多かった時代、36歳まで現役を勤めた。
親方としては1995年からは、出羽海を襲名し名門部屋を率い、普天王などを育てる。

【審判部長】【新弟子検査担当】
◯放駒輝門……元大関 魁傑(二所ノ関一門)
三役時代に2度優勝決定戦に出場し一度は横綱北の湖を破り優勝を飾る。
大関昇進し好成績で横綱を期待されたが、肘の故障から不調となり大関を2度陥落。
「休場は負けと同じだ」の信念で黒星が続いても決して休まず、
誠実な土俵態度と色黒の爽やかな笑顔で人気があり「クリーン魁傑」なる異名もあった。
親方として横綱大乃国を育てる。審判部長としての番付編成、昇進問題への疑問を上げる声もある。

【相撲教習所長】【監察委員長】【警備本部長】【博物館運営委員】
◯友綱隆登……元関脇 魁輝(立浪一門)
序の口通過に一年もかかるなど、決して出世は早く無かったが、安定した取り口で北の湖を連破したりなどし活躍した。ジョークのセンスがあり飄々とした人柄で親しまれた。
親方としては大関魁皇、戦闘竜、大刀光などを育てる。
また父も元十両力士、子も関取を目指す現役力士である。

【広報部長】【博物館館長代行】【指導普及部長】
◯九重 貢……元横綱 千代の富士(高砂一門)
優勝回数31回をはじめ数々の記録を作った第58代横綱。小兵ながら強靭の足腰で鋭い立ち会い。「ウルフ」とあだ名される。親方としては、大関千代大海などを育てる。

【名古屋場所担当部長】
◯二所ノ関 正裕……元関脇 金剛 (二所ノ関一門)
優勝回数一回。ほら吹き金剛というあだ名のように、強気で大口を叩いてしまう性格であったが、1975年7月場所には、大口がすべてその通りとなり、見事13勝2敗で優勝をはたす。
優勝からわずか1年後、二所ノ関を継ぐために27歳の若さで引退。

【非常勤理事】
◯伊藤 滋 …… 都市環境デザイナー
早稲田大学教授、慶應義塾大学大学院客員教授、東京大学名誉教授。

【非常勤理事】
◯村山 弘義 ……弁護士(元東京高等検察庁検事長)

監事
◯吉野 準  ……元警視総監


現在(2009年4月時点)の副理事 役員待遇は以下のとおりです。

副理事
◯三保ヶ関 昇秋 ……元大関 増位山(出羽海一門)審判部副部長・新弟子検査担当
◯湊 広光 ……元小結 豊山(時津風一門) 指導普及部副部長・新弟子検査担当
◯不知火 幸雄 ……元関脇 青葉城(二所ノ関一門) 巡業部副部長・警備本部副部長・新弟子検査担当


役員待遇
◯高田川 和一……元大関 前の山(無所属)
◯高砂 浦五郎……元大関 朝潮(高砂一門)
◯秀ノ山 護久……元関脇 長谷川(二所ノ関一門)
◯玉ノ井友宣……元関脇 栃東(出羽海一門)
◯貴乃花 光司……第65代横綱 貴乃花(二所ノ関一門)
◯間垣 勝晴……第56代横綱 若乃花(二所ノ関一門)


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