[PR] ブライダル 専門学校 外国人力士:岐路に立つ大相撲

外国人力士

今までの外国人力士

朝青龍、白鵬をはじめとしたモンゴル勢、琴欧洲、露鵬、黒海、把瑠都などの東欧勢。
今や幕内力士の3人に1人は外国人力士になろうかという時代です。
今までの主な外国人力士をピックアップしてみました。

【高見山大五郎】
現在の外国人力士全盛の時代もこの人の最初の一歩があったからです。
現、東関親方、人気力士高見盛の親方です。
昭和43年1月場所で史上初の外国出身幕内力士となり、
その後、97場所という長きにわたり幕内をつとめ優勝も経験した。
小錦をスカウトし自らも親方として曙を育てました。


【トンガから来た6人の若者】
昭和49年、親日家で相撲ファンのトンガ国王の命を受け6人のトンガ人の若者が朝日山部屋に入門しました。「福の島」「友乃島」「南ノ島」「椰子ノ島」「日ノ出島」「月乃出島」と名乗り頑張りましたが、数年して部屋の後継問題に巻き込まれ6人とも廃業しました。
福の島はプロレスへ進みました。
南ノ島は国で相撲を子供たちに教えて、2001年、自分の息子が入門しました。


【栃ノ華 朝王】
台湾出身の初めての関取。十両に13場所在籍。
体が大きく期待されたが雑な相撲が多く大成しなかった。

【小錦八十吉(六代目)】
大きな体、「プッシュ、プッシュ」と迫力満点の突き押し。
浅黒い肌と衝撃的パワーに入幕2場所目での活躍に「黒船来航」ともいわれました。
高見山に見いだされ、高砂部屋へ。外国人初の大関。優勝も3回。大関在位39場所。
横綱を期待された時期もあったが残念ながら実現できなかった。
小結時代に大関北尾(後の横綱双羽黒)にさば折りで破れた時に二人の全体重、400kg以上が小錦に右足にのしかかり痛めてしい、その後の小錦には大きなハンディとなったようだ。
平成4年3月場所後、付き人が小錦になりすまして「自分が横綱になれないのは人種差別があるからだ、もし日本人ならとっくに横綱になってるはずだ」とマスコミの取材に答える事件が発生した(これは小錦自身では無く、小錦の付き人が電話で答えたもの)。


【琴天太(後に琴天山)】
レスリングの世界Jr選手権、スーパーヘビー級チャンピオンという肩書きをもち、佐渡ヶ嶽部屋に入門。初土俵。以降、序ノ口、序二段、三段目でいずれも7戦全勝で優勝。
しかし相撲界になじめず、翌場所には幕下に昇進するも失踪し、初土俵後無敗のまま廃業という事になってしまった。その後にプロレスに転向し活躍するも、2006年癌で42歳の若さでこの世を去る。


【南海龍太郎】
300人近い候補のなかから選ばれて高砂部屋に入門。はじめてのサモア出身幕内力士になる。その素質に小錦はほれこみ、横綱千代の富士にも意識されたが、大酒飲みで、飲み過ぎにより休場という失態をおこし、師匠の「酒と相撲のどっちをとるんだ」との問いに「酒」と答え帰国してしまった。結局廃業ということになってしまった。「あの時相撲と答えてればきっと綱を締めてたよ」と小錦は残念がる。
その後プロレスへ行くもやはり酒で問題を起こし帰国してしまう。


【星誕期、星安出寿】
アルゼンチン出身の力士として1987年、88年と相次いで入門。
二人とも十両までのぼり南米出身の初の関取となる。
星誕期は38歳まで現役を続け陸奥部屋の若手力士を熱心に指導した。


【第64代横綱曙太郎】
ハワイの先輩東関親方に見いだされ入門。
2mを超える身長をいかした突き押し、初の外国人横綱になる。
同期入門は若、貴兄弟、大関魁皇、和歌乃山洋、プロレスラーになった力櫻などそうそうたる力士がいた。下半身のもろさをつかれ舞の海や貴闘力など小兵に破れることもあったが、貴乃花が昇進するまで一人横綱との重責を果たし、若貴のライバルとして相撲界をささえ、優勝も11回を数えた。


【第66代横綱武蔵丸】
ハワイ出身であるが父はトンガからの移民と言われるている。
安定した足腰を持ち、相撲も波は無かったがなかなか貴乃花を超えられず長く大関の地位にとどまっていたが.琴桜と並ぶ大関在位32場所での横綱昇進となる。優勝決定戦に弱く6敗もしたが、それでも優勝回数は12回を数えた。西郷さんに似た風貌で親しまれる。
帰化し引退後武蔵丸の名前で協会に残っているが2008年1月までに年寄り名跡を取得、もしくは借り受けることができなければ相撲界を去らねばならないが、どうなるのだろうか。


【大和剛】
曙の幼なじみ。曙の活躍に刺激され間垣部屋に入門。身長を活かした突き押し相撲で着実に番付を上げ入幕を果たす。突き押し相撲に磨きをかけ、幕内に定着しかけたが、ウイルス性の風邪を患い入院。その後満足に相撲を取れず、幕下まで陥落し引退。

【戦闘竜】
母は日本人、父は米軍技師。東京都立川市に生まれ、6歳まで横田基地で暮らす。
しこ名は、居住していたセントルイスにちなむ。フットボール、レスリングの経験を活かし、強烈な突き、押しを得意としたが出世は早く無く、12年かかり新入幕を果たすも怪我で幕下まで陥落したところで引退。その後格闘家に転身しK1,PRAIDなどに参戦中。


【国東 始】
ブラジル人(日系人をのぞく)はじめての関取。高校時代からブラジルの国内で相撲を取っており、明大学中野相撲部のホームステイが縁で、玉ノ井部屋に他の4人とともに入門。幕下まで順調出世したが腰を痛め何度も序の口まで落ち這い上がりついには十両まで昇進する。しかし度重なるケガで幕下、さらに三段目にまで陥落。ケガには勝てず引退。